塩野義製薬株式会社
上席執行役員
医薬研究本部長
木山 竜一
(1987年卒、
1989年修士修了、
1996年博士学位取得)
月日が経つのは本当に早いもので、九大薬学部に入学してから40年もの時間が経過しました。在学中にやっていた研究、クラブ活動、アルバイト、友人との大切な時間、全ての思い出が今でも私の宝物です。先日も同期の友人や後輩たちとWeb飲み会を開き、懐かしい話で大いに盛り上がりました。大学生活の楽しい思い出を書き始めると止まりませんが、それはもっと若い人達に譲り、私からは卒業後の人生について紹介したいと思います。
私も多くの方々と同様に、大学院の修士課程から教授推薦で製薬会社に入り、研究所に配属されました。若い皆さんから見れば大昔の平成元年の話です。入社当初は高血圧の研究に取り組み、残念ながら薬として世に出ることはなかったものの、その研究業績で九大薬学部から博士号を授与されました。その後、大学院時代の指導教官の推薦で、米国カリフォルニア州のThe Scripps Research Instituteに留学する機会に恵まれました。San Diegoの環境は素晴らしく、高校時代からの憧れだった海外生活を堪能しました。帰国後の10年間は創薬研究に従事し、抗エイズ薬の開発に成功して多くの命を救うことができたのですが、この研究過程でも母校の先輩方に多くのアドバイスをいただきました。振り返ってみれば、在学中も卒業後も九大薬学部に支えられっぱなしの研究者人生でした。
ところが、入社20年目に大きな転機が訪れました。研究しか知らなかった私に本社異動の辞令が下り、経営企画部長として全社の経営戦略を立案せよとの命令でした。七転八倒しながら何とか中期経営計画を纏め上げたのですが、ここで会社経営の面白さを知ってしまい、その後は事業開発部長や診断薬事業部長や米国子会社の社長なども経験することになりました。2019年に医薬研究本部長として現場復帰して現在に至りますが、生涯一研究者として定年を迎えるつもりだったことを考えると、高校時代や大学時代の私には全く想像もできない波乱の人生だったと思います。
人は生きていく中で多くの選択を行い、その度に様々な“縁”と巡り会います。私は九大薬学部を受験するという選択の結果、本当に素晴らしい方々との“縁”に恵まれました。今は新型コロナ禍で人との出逢いに苦労している学生さんが多いと伺っていますが、当時に比べSNSが発達している時代ですから、私の頃とは異なる“縁”で人と繋がれるのではないでしょうか。是非とも大いに学び、大いに遊び、一生の財産である友人を沢山作ってください。これから受験にチャレンジする高校生の皆さんには、さらに多くの素敵な出逢いが待っているはずです。九大というのは、それができる場所だと思います。お世話になった先輩方に少しでもご恩返しができればと思い筆を執りました。私も皆さんの将来の一助となれることを願って止みません。